Xin chào ,ベトまゆ(@dietmayu17048}です。

私は10代の頃、声が出なくなり接客業のバイトが出来なくなりました。
その経験からの改善したことを簡潔に紹介します。
Contents
吃音症が悪化し、消えたかった17歳

高校生の時、接客の厳しい飲食店でバイトをしていました。
笑顔がわざとらしくないかや、ちゃんとお客さんの目を見て言ってるか、とかたまにお客様を装って抜き打ちチェックにも来たりするお店でした。

でも当時の私にとっては、とってもプレッシャーでした。
チーフは常に私たちをチェックしてるし、監視カメラで後からチェックされたりしてたからです。
厳しい接客業
ある日、チーフから注意をされました。
「いらっしゃいませ」のトーンが低いから高くして、と。
✅それから、いらっしゃいませと言うたびに気になってしまい、ついに言えなくなってしまいました
いらっしゃいませ、の{い」が言えないのです。
何故か、「ありがとうございました」も言えなくなってしまいました。
「ア行」が全部言えなくなったのです。
家で、練習してる時は言えます。でも店についたとたん言えなくなります。
最初の内は「ア行」を言わないで次の文字から言うようにしてましたが次第にそれさえ言えなくなってしまいました。

でも何故か私は頑張ろうとしてしまい、2年ぐらい続けてしまいます。
私の鬱が悪化したのはこのことも原因かもしれません。
17歳、18歳なのに人生で一番死にたかった時です。
吃音症は親の愛が足りてないのか
私も姉も吃音症です。姉は話すときにどもる事が多いです。
確かに私たちの親は愛情不足でした。
でもそれが関係あるとは思えません。
吃音症は自信のなさとHPS
言葉を発せなくなるのは、HPSとかの感受性が強い人が気にし過ぎて話せなくなるパターンが多い気がします。
人の表情などを読み取ってしまうから気にしてしまう、それで話せなくなる人が多いと思うからです。
でも日本では皆ギリギリで生きています。だから犠牲になるのはいつもHSPの私達なんです。
吃音症は接客業を引退しよう
私は高校生以来、接客業をしていません。今後もするつもりないです。
工夫すれば出来るかもしれません。
でも確実にストレスはたまるし、今は色んな仕事を自分で選択できます。

手に職を付ければいいんです。生涯困らないような。
私は色々自分の好きな事を探した結果、言語の世界にたどり着きました。
言語勉強と吃音症
私が言語勉強{英語ベトナム語〕を始めたのは、自分を変えたかったからです。
日本語で話す私は消極的で自信がない、几帳面になる。
でも多言語だったら少しは変われるんじゃないかと思ったから。
留学2回して、両方とも皆の前で発表何回もしたけど、言葉が発せなかったことは一回もないです。
というかこの記事書くまで私が吃音症の事を忘れていました笑
それは、周りのみんなが細かい間違いを気にしない事、決して馬鹿にしたりしない事が大きいです。
海外に住み始める

はっきり言って日本の厳しい接客業のマナーや、ルールばかりの生活はおかしいです。
自分たちの首を自分で締めて誰が得をするんでしょうか?
楽しむために人生はあるのに、息が詰まる生活。
いつの日か私は海外に住むことだけを考えるようになりました。
いざ、住み始めると本当にストレスフリーです。
日本では、人に話しかける時必ず少し間が空いたり、少し間違えただけでビックリされたり全てがストレスになっていました。
でも、ベトナムではすぐに話を理解してくれ、色々な事がスムーズにいきます。

言葉に詰まる事も一回もありません。
ただ、皆が私のように海外に住めるようにはならないですよね。
なので、残業がない会社に勤めたり自分で事業を起こしたり是非能動的に動いてほしいです。
まとめ
- 接客業はやめる
- 克服しようとしない
- 手に職をつける
- 外国語を勉強する
Xin cám ơn,
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